2011.03.11
余震が続く・・・
船酔いしてるみたいだった。
防災訓練で、避難場所に指定されている場所に
私は勝手に非難した。
チリ地震津波を経験している
会社のおばちゃんの姿は、とっくになかった。
この時点、避難場所は、人もまばら。


いずれ、ここが人であふれ出す。
ばーちゃんが、地震の次の日の明け方、亡くなったから。
ばーちゃんは、地震と関係なく、以前から病院に入院してた。
きっと、じーちゃんが、迎えに来たのだと思う。
日本は大変なことになってるよ
そこは、お前のいるところじゃないよ
と。
じーちゃんの誕生日は、3日3日のひな祭り。
ばーちゃんの誕生日は、5月5日のこどもの日。
なんか、笑える。
ばーちゃんは、97歳。
もうじき98歳の誕生日を迎えるはずだった。
ばーちゃんは、鹿島の病院にいた。
鹿島は被災地。
お通夜の前日の夜まで、断水していたそうだ。
そして、お通夜のときは、輪番停電の時間帯に当たってしまい
真っ暗になったそうだ。
そういう私は、お通夜にも葬式にも行けなかった。
必死に経路を探せば、鹿島に行き着くことは出来たかもしれないのに。
親に、葬儀も無事に終わったと連絡をもらった。
で、
「あんた、いつまで休んでるの?」
と聞かれ
「4日間は、忌引だから、木曜まで休むよ。
ばーちゃんにもらった休みだもん!」
と言ったら、笑って呆れられた。
ばーちゃん、ごめんよー。
お別れに行けなくて。
成田線が復旧したら、会いに行くから。
あとね、ちょっと、面倒くさいと思って
鹿島に行く方法を必死で探さなかったり、
こんな状況だから行かなくてもいいかな
万が一着いても、帰ってこれなくなるかも
なんて、思っちゃったんだよ。
ごめんね。