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地方は強い

福島にある、生産製造ラインがある関係会社の工場。

あの地震のときは、ものすごい揺れとともに蛍光灯が落ちてきたそうだ。
そして、震災後自宅待機となったそう。

会社は、福島で製造していたものを、別の子会社に一部製造移管することを決めた。

福島の工場の人は、この製造移管を知って、
震災後、工場に集まり、自分たちで片づけを始めたそうだ。

そして、一部の製造ラインを復旧させ、少しずつ物づくりを始めた。

徐々に会社に人が集まり、復旧に向けた作業を開始。
そして、震災から2週間後、開発拠点に

「28日の月曜から量産出来ます!」
という連絡を入れてきたそうだ。

きっと、製造拠点を移され、そこで量産が始まったら・・・
という危機感が、みんなの行動となって、こんな短期での復旧を実現させたんだ思う。

自宅待機中の女の人にも、月曜から、会社に来るようにという指示が出たそうだ。

地方は強いね。
団結力もある。
そして、危機感もある。

福島から、月曜日に量産できると言われた、開発部門のほうが混乱して、
対応に四苦八苦してると聞いた。

それに比べて、自分はのんびりしすぎだな。
ラクしすぎ。
ぬるま湯につかりきってる。

こんな強い気持ちを見習わねば。


そういえば、会社のおばちゃんの、姪っこの婿殿は、大型タンカーの運転手。
地震や津波のことなど知らずに、タンカーを運転していたらしい。

志津川に帰る途中、神奈川の親戚の家にのん気に寄ったら

「自宅が大変なことになってるよ!」
と言われ、初めて震災のことを知ったそうだ。

電話しても、まったく通じない。

ようやく唯一携帯の繋がるおばちゃんの甥っこと電話が通じて、震災の状況を聞いたそうだ。

「今すぐ、志津川に戻る!」
と言った、婿殿に

おばちゃんの甥っこは

「今、戻ってきても、家も流されて何もないし、
志津川にたどり着けるかさえ、わからない。
戻ってこなくていいから、そっちで働いてください!」

と伝えたそうだ。

今回の震災で、家のローンが残ってる人も多いそうだ。

「家は流され、何もないけど、ローンだけは残ってるから、
働いてもらわないと!」

と、おばちゃんも言っていた。

志津川の避難所では、住宅の斡旋や就職先の相談なども始まったそう。

お兄さんは、関東に移ることはイヤだと言って、
宮城県内の海から離れた山の中の安い一軒家を借りることを決めたそうだ。

生まれ育った土地を離れるって、年をとればとるほど、難しくなるのかもね。
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